二宮金次郎
江戸時代の経営コンサルタント
二宮金次郎

本校の校庭には、創立当時からのシンボル二宮金次郎(二宮尊徳)の銅像があります。沖縄がまだ祖国に復帰する前に、初代校長の安仁屋雅一が本土から運んできたものです。

当時は米軍統治下にあり、本土と行き来するにはパスポートが必要でした。本土から物品を運ぶにも税関を通さなければならなかったのです。二宮金次郎の銅像は沖縄へ着くと税関で止められ、校長は係官からの質問攻めにあいました。しかし、二宮金次郎の精神を学校経営に活かしたいという熱意が伝わり、ぶじ輸入することができました。

二宮金次郎は、神奈川県の小田原で生まれ育ちました。金次郎の祖父は人一倍の働き者で、二宮家は村でも有数の富農でしたが、金次郎の父の時代に、ほとんどの財産を失ってしまいました。さらに、金次郎は14歳のときに父を亡くし、一家4人の生活を一人で支えていかなければなりませんでした。朝は暗いうちから山で薪を集めて町に売りに出掛け、昼は田畑を耕し、夜は遅くまでワラジをつくってしのいでいましたが、その生活は食うや食わずでした。

金次郎は、この貧乏から脱却し二宮家を復興させることを四六時中考えていました。そこで、山から町への往復の間、父からもらった「大学」やその他の書物を熱心に読んだのです。しかし、金次郎が16歳のときに母が他界し、追い撃ちをかけるように、河川の氾濫で田畑が流失してしまいました。親戚の協議により弟二人は母の実家にひきとられ、金次郎は伯父の家に寄食することになりました。

金次郎は、この貧しさを糧として経験を積み、「積小為大」の大自然の原理を発見することになります。そして、金次郎は、二十歳のときに独立しました。この独立は、兄弟が離散し、伯父にひきとられてからわずか3年半という短い期間でした。若干二十歳で二宮家を再興させた評判は、金次郎の奉公先である服部家の耳にも入りました。服部家は、当時かなりの財政難に陥っていました。その服部家の当主から、ご家政建て直しを命ぜられ、みごと5年で再興させたのです。

このことがきっかけとなって、金次郎は小田原藩主大久保忠真公の目にとまり、桜町領をはじめとする数々の財政復興を手がけてきました。この働きは、現代の経営コンサルタントにあたるものといわれています。金次郎の業績は、過去の実績を綿密に調査し、その数字の上に無理のない目標生産高を決定し、これを少しずつ底上げする方法で成功しました。この方法は、経営計画をたてるため、帳簿を記録・計算・整理する簿記の方法に通じるものがあります。

「一家仁 一國興仁 一家讓 一國興讓 一人貪戻 一國作亂 其機如此」
金次郎の持つ書「大学」

なお、金次郎の持つ書「大学」には、次の文が書かれています。「一家仁 一國興仁 一家讓 一國興讓 一人貪戻 一國作亂 其機如此(一家仁なれば一国仁に興り、一家譲なれば一国譲に興り、一人貪戻なれば一国乱を作す。その機かくのごとし。)」



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